あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「『のうりん』ポスター問題について、いちオタクとして私なりに考えてみた。

胸元強調アニメポスター批判相次ぎ撤去 岐阜・美濃加茂朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASHCZ63VMHCZOHGB015.html

はじめにお断りしておきますが、私は、「二次元」をこよなく愛し、また下手の横好きですが時にはちょっぴりエッチな絵を描いたりする「オタク」です。ですから、自分の好きな作品やキャラクターが否定的に扱われて憤慨する気持ちは十分に分かるつもりです。

しかし、本件に関しては、フェミニスト諸姉諸兄も我が同志も、少々感情的になって自分の主張ばかりを展開し、言うだけ言い放ってしまっているような気がしてなりません。

そこで、いちオタクである私なりに、いちオタクとして敢えてオタク諸氏の言説を批判的に検討しつつ、この問題の落としどころを見つけてみたいと思います。

まず、この問題については、多くのオタク諸氏が「性的表現の自由」規制問題だと捉えているかもしれません。

しかし、いったい本件では、誰の「表現の自由」が制約されているのでしょうか。この点、本件の『のうりん』ポスターが批判され撤回を要求されることによっては、『のうりん』原作者の「表現の自由」が不自由を被らないことは確かです。なぜなら、『のうりん』という作品そのものの表現内容に干渉するものではないですから。だとすれば、それによって不自由を被るのは美濃加茂市観光協会の「広告の自由」でしょう。

そうしてみると、本件の問題が典型的な「性的表現の自由」規制問題であるといえるか、少々疑問といわねばなりません。

それはさておき、本件の『のうりん』ポスターに対する批判は、はたして広告における表現内容そのものをターゲットとするものでしょうか。

たしかに、キャラクターの構図についてそれがエロティックだと批判している点に鑑みると、一見広告における表現内容そのものをターゲットとするものであるようにも思えます。しかし、思うに観光協会が『のうりん』ポスターで伝えたいのは、「のうりんスタンプラリー」開催の事実です。だとすれば、本件の『のうりん』ポスターにおいてキャラクターの構図は「本質的なもの」であるとはいえないでしょう。それゆえ、本件の『のうりん』ポスターに対する批判は、広告における表現内容そのものをターゲットとするものではなく、エロティック(だと思われるよう)なキャラクターの構図で広告する「方法」をターゲットとするものであると考えるのが妥当であると思います。

そうしてみると、本件の『のうりん』ポスターに対する批判は、必ずしも『のうりん』とコラボしたスタンプラリーを広告することを否定するものではないと考えられます。ですので、たとえ批判を受けないようなイラストに差し替えたとしても、それによって美濃加茂市観光協会の「広告の自由」が被るであろう不利益は、甘受できないほどではないといえるでしょう。これがもし、「どうやらエロティックな表現があるらしい萌えアニメとコラボした広告なんて許さない」というような批判でしたら、また話は別ですが……。

ところで、もしかして誤解している人もいるかもしれませんが、憲法は原則として、「国家(公権力)」と「個人(私人)」の関係において適用されるものです(ただし、企業や報道機関といった国家類似の私的団体による人権侵害のケースでは、「私人」と「私人」の関係における適用が問題となりますが。)。だとすると、本件では美濃加茂市観光協会の「広告の自由」が公権力によって規制されたわけではなく、また私人による批判に対応して観光協会が(たとえ本意でなかったとしても)自主的にポスターを撤去したという点に鑑みれば、どうやらやはり、本件の問題は典型的な「性的表現の自由」規制問題であるとは言えなさそうです。

つまるところ、本件の問題は、異なる価値観がぶつかり合う(可能性のある)空間において、異なる価値観のぶつかり合いにどう折り合いをつけるか、という問題なのではないでしょうか。

もしも、本件の「『のうりん』ポスター」の掲載場所が、例えば秋葉原のアニメショップやコミック専門店でしたら、ポスターの撤回要求は不当な干渉であるといえるでしょう。ですが、実際にポスターが掲載されていた「駅前」という空間は、まさに「異なる価値観がぶつかり合う(可能性のある)空間」だといえます。

我々オタクが、ラディカルなフェミニスト諸姉諸兄の価値観を理解することができないのと同様、きっとフェミニスト諸姉諸兄も、オタクの価値観を理解することができないのでしょう。にもかかわらず、異なる価値観がぶつかり合う(可能性のある)空間において、フェミニスト諸姉諸兄の価値観を全面的に否定して我々オタクの価値観を認めさせるとすれば、逆に我々オタクの価値観を全面的に否定されフェミニスト諸姉諸兄の価値観を認めさせられても、文句は言えないことになるはずです。だとすると、異なる価値観がぶつかり合う(可能性のある)空間において、我々オタクの価値観を尊重するよう求めるためにも、譲歩できる部分は譲歩する必要があるのではないでしょうか。そしてそれは、私たちのこよなく愛する作品を偏見や無理解による批判や誹謗中傷から守るためにも、必要なことであるといえるでしょう。

もっとも、譲歩できる部分の線引きは、たしかになかなか難しいものだと思います。ですが、「おっぱい」といった女性の性的なシンボルというべき部分に関しては、やはり細心の注意を払うべきではないでしょうか。他方、「男に媚びたような表情」などというのは、主観的であって、いささか理不尽な言いがかりのような気がします。

こうして考えてみると、「ポスターのイラストの構図については再考すべきであるが、『のうりん』とのコラボや、それを広告することそれ自体を批判するのは、不当な干渉である」と考えるのが、「『のうりん』ポスター問題」の落としどころとしては、妥当なのではないでしょうか。