あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

普遍的な価値としての、学問の自由を守るために――「『帝国の慰安婦』問題」雑感

在宅起訴された慰安婦本著者「考え受け入れられず残念」:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASHCM3RWBHCMUHBI011.html

いわゆる「従軍慰安婦問題」をめぐる朴裕河教授の言説に関しては、本稿ではその中身の当否に踏み込むことはしませんが、私自身は否定的な立場です。

しかし、たとえ朴教授の言説に問題があったとしても、表現の自由のみならず学問の自由の重要性に鑑みれば、それは「思想の自由市場」で淘汰されるべきであり、したがって「『帝国の慰安婦』問題」に国家権力が介入することは許されるべきではないと私は考えます。

もっとも、日本において朴教授の言説が、韓民族憎悪や日本の植民地支配を正当化する道具として悪用されかねない点に鑑み、「国家権力介入もやむを得ない」と考えるリベラル派諸姉諸兄もいらっしゃるかもしれません。

もちろん、そのように考える気持ちは私にも分かります。

ですが、この問題に国家権力が介入するのを許すことは、たとえば言葉は悪いですが、朴教授を「スケープ・ゴート」として日本の植民地支配を正当化する言説が「聖化」される恐れがあることなども考えれば、朴教授の言説に批判的な立場をとる韓国や日本の研究者の真摯な努力をもないがしろにすることにもなりかねません。

それゆえ、朴教授の学問の自由のみならず朴教授の言説に批判的な立場をとる研究者の学問の自由を、というよりも普遍的な価値としての学問の自由を守るためには、やはりこの問題に国家権力が介入することは許されるべきではないのです。

なお、政府の態度のみをもって「韓国は非民主的だ」などと嘲笑するのは、民主主義についての理解が不十分であることを自ら晒すも同然だといえます。なぜなら、民主主義の意識が韓国の市民に深く根ざしていることは、先日の「ソウル民衆総決起大会」にまで連なる韓国の民主主義の歴史が証明しているのですから。翻って、日本はどうでしょうか。「韓国は非民主的だ」などと嘲笑できるほど、民主主義の意識が日本の市民に深く根ざしているといえるでしょうか。

また、「『帝国の慰安婦』問題」は、国家権力の介入という点に鑑みれば、例の産経支局長の問題と一見類似しているように思われますが、しかし学問の自由と報道の自由の意義に鑑みれば、それとは質的に異なる問題であるといえるということを、最後に付言しておきたいと思います。