あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「憲法解釈」に対する誤解について

憲法9条をめぐる議論において、よく耳にするのが、「護憲派憲法9条を守れと言いながら、自衛隊違憲だと言わないのは矛盾だ」という言説です。このような言説は、主に改憲論者によって主張され、一見すると至極正当であるように思われます。

しかしながら、どうも私には、そのような主張をする人が「憲法解釈」を誤解しているように思えてならないのです。

もっとも、現実主義者の皆さんがよく言う「平和ボケお花畑馬鹿サヨク」の私は、自衛隊違憲であろうが一向に構いません。ですが、「いいかげん現実を直視しろ!」という現実主義者の皆さんからの有難いお叱りを真摯に受け止め、ここはひとつ「解釈による自衛隊合憲説」を擁護してみたいと思います。

憲法も、「法」である以上、具体的事案に適用するに際しては、「解釈」することが必要です(どうやら、理系を自称される方のなかには、この「法解釈」に違和感を持たれる方がいらっしゃるようですが……)。それゆえ、「自衛隊憲法に明記されていないから、違憲だ」というのは、少々短絡的に過ぎます。例えば、安倍首相は「徴兵制憲法18条に反するからあり得ない」と主張していますが、徴兵制の禁止が憲法18条に明記されているから違憲なのではなく、徴兵制は「意に反する苦役」にあたると解釈されるから、違憲だと考えられるのです(ですから、単純に『徴兵制は「意に反する苦役」にはあたらない』と解釈するのであれば、徴兵制を合憲と考える余地も皆無とはいえないのです。)。

そうだとして、「法」はある一定の目的を実現するために存在するのですから、字義通りにだけではなく、法の趣旨目的に照らして法を解釈することもできます。

そうして、憲法9条の趣旨を考えてみますと、私が思うに、簡単に言ってしまえば憲法9条は、かつて日本が戦争の加害者であったことの反省を踏まえ、再び戦争の加害者とならないことを何よりもまず誓ったものです。

だとすると、戦争の加害者とならない、あくまでも「正当防衛」の範囲内であれば、そのための「備え」をすることは憲法9条の趣旨に反しないと解することも可能だといえます。これまで政府が、自衛のために「保持できるのは近代戦争遂行能力をもたない防衛用の兵器のみで、他国に対して侵略的脅威を与えるようなものであるとか、性能上相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられるものは保持できない」としているのも、おそらくそのような解釈に基づくものであると思われます。

他方、先般成立した安保関連法によって行使することが可能となった「集団的自衛権」は、たしかに名称だけを見れば「自衛」のための権能です。しかし、かつてのベトナム戦争や近年のアフガニスタン紛争に鑑みれば、間接的であるにせよ集団的自衛権の行使は、日本が戦争の加害者となる危険を孕んだものであることは否定しがたいでしょう。それゆえ、集団的自衛権の行使を容認することは憲法9条の趣旨に反するのであって、個別的自衛権とは異なり憲法9条の解釈によって認められる余地はないと考えるのが妥当なのです。

「だがしかし、現実には自衛隊は世界屈指の『軍事力』を持っている。にもかかわらず、自衛隊を合憲だと言うのは護憲派の欺瞞だろう」と、改憲論者は言うかもしれません。

そうして、改憲論者は、「だからこそ、憲法9条を改正して自衛隊を『国防軍』とすべきだ」と言うでしょう。

ですが、どうしてそこで「自衛隊の装備を憲法の趣旨に沿うように見直すべきだ」という発想に至らないのでしょうか。たしかに、時代の変化に鑑みて「法」を見直すことも時には必要かもしれません。しかし、現実に迎合して安易に法を現実に合わせてしまっては、法の「歯止め」としての意味が失われてしまいます。ましてや、国民の権利や自由を守り国家権力を制限するものであるという憲法の本質に鑑みれば、なによりもまず「現実」を「法」に合わせるのが本筋ではないでしょうか。もっとも、安倍政権憲法を「国民の権利や自由を守り国家権力を制限するものである」とは考えていないのかもしれませんが……。

「そうは言っても、我が国の周辺には多くの軍事的脅威が存在しているのが『事実』だ。護憲派はそのような『事実』から目を背けて『憲法を守れ』の一点張りだから、平和ボケだと言われるんだ」と、改憲論者は言うかもしれません。

しかし、改憲論者のみならず安倍政権もよく主張する「軍事的脅威」は、はたして本当に「事実」なのでしょうか。この点に関しては、私は以前のエントリでも述べましたので、本稿ではあえて繰り返しません。いずれにせよ、「事実」が憲法よりも優先されると言うのであれば、そもそも憲法など不要でしょう。このような主張をする改憲論者は、改憲を唱えるよりも、むしろ石原慎太郎氏のように憲法の破棄を唱えるほうが、誠実な態度であるような気がします。