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あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「必要かつ相当」であるということ、あるいは安保関連法に関する考え方が性表現規制問題に及ぼす影響について。

オタク同志諸姉諸兄のなかには、先般成立した安保関連法に賛成の人もいらっしゃるかと思います。

もちろん、安保関連法への賛否は個人の自由です。

ですが、安保関連法を成立させた政権サイドの「思考法」の問題性について、ほんのちょっとでもいいですから考えてみてください。

「何を考えないといけないのか。法的安定性は関係ない。(集団的自衛権の行使が)わが国を守るために必要な措置かどうかを基準としないとければいけない。わが国を守るために必要なことを憲法が駄目だということはあり得ない」という、磯崎首相補佐官の発言に代表されるように、どうやら政権サイドは、「必要であれば何をやっても許される」と考えているようです。そして、おそらく安保関連法賛成派は、このような考え方に賛同するのでしょう。

ですが、オタク同志諸姉諸兄には、ここで安保関連法を性的な表現を規制する法律に置き換えて、考えてみてほしいと思います。

政権サイドの思考法に従えば、「ロリコン性犯罪者から社会を守るために必要であれば、エロティックな漫画やゲームを禁止することを憲法が駄目だということはあり得ない」という言説も、十分な妥当性をもつことになるはずです。そのような、性的な表現の安易な規制を許す危険をはらむ政権サイドの思考法を、安保関連法賛成派であるオタク同志諸姉諸兄は、尚も賛同するのでしょうか。

もっとも、「それとこれとは別問題だ」と言うオタク同志諸姉諸兄も、いらっしゃるかもしれません。ですが、政権に近い人々が性的な表現の規制に熱心であることはよく知られていることです。だとすれば、「『必要であれば何をやっても許される』という思考法に従って、エロティックな漫画やゲームを規制する法律を制定することはあり得ない」という保証など、どこにもないのです。

どうも昨今は、私たち市民の間でも、「必要であれば何をやっても許される」という思考法を、至極正しいものと考える風潮が強い気がします。つまり、残念ながら「必要であれば何をやっても許される」という政権サイドの思考を助長してしまっているのは、私たち市民なのかもしれません。

およそ人権が尊重される社会においては、法的な問題を考えるにあたっては、「必要であるか」のみならず「相当であるか」が考慮されなければなりません。しかるに、例えば「○○国の脅威からわが国を守るために必要」だとかいうように、「必要性」ばかりを強調し、「相当性」を慮らない昨今の安倍政権や、それを支える市民の態度を危うく感じるのは、私だけでしょうか。