あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

あえて言おう、「軍事的抑止力」は気休めに過ぎない、と。

安倍政権は、「集団的自衛権の行使によって抑止力が高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなる」と言います。

ですが、私はこの「軍事的抑止力」なるものに関しては、懐疑的な立場です。

軍事力を高める事が、戦争の抑止に繋がるというのであれば、どうして世界最強の軍事力を誇るであろうアメリカが、2001年9月11日に「アルカイダ」の攻撃にさらされたのでしょうか。

こんなことを言えば、「あれは『テロ』であって、『戦争』ではない」と批判されるかもしれません。

しかし、「あれは『テロ』であって、『戦争』ではない」だと言うのは、いわゆる「西側世界」の一方的な見方に過ぎないのではないでしょうか。それに、『戦争』を『テロ』という言葉に置き換えたところで、「世界最強の軍事力を誇るであろうアメリカが攻撃にさらされた」という事実の前では、まったくもってナンセンスです。

もっとも、このような私の言説を、安全保障関連法案賛成論者は「『中国が日本にとって軍事的脅威である』という現実を見ていない、平和ボケな言説だ」と非難するかもしれません。

ですが、安倍政権もよく主張する「中国が日本にとって軍事的脅威である」というのは、はたして本当に「事実」なのでしょうか。

私が思うに、それは「事実」の問題ではなく、「解釈」の問題です。

中国にしてみれば、アメリカと日本が「軍事同盟」を結ぶことは、「中国にとって軍事的脅威」以外のなにものでもないでしょう。それゆえ、中国の軍備を「脅威」であると主張する安倍政権に対して、中国は「我が国の軍備は米日同盟という軍事的脅威に備えるためのものである」と反論するかもしれません。そして、おそらくそのような中国の反論に対して、安倍政権は「我が国の『軍備』は中国の軍備という軍事的脅威に備えるためのものであって、「軍事的脅威」などではない」と再反論するでしょう。

また、「南沙諸島問題」に関しては、日本は少なくとも直接の当事国ではありません。にもかかわらず、「南沙諸島問題」における中国の態度を「日本に対する軍事的脅威」だと考えるのであれば、「中東問題」におけるアメリカの態度を「中国に対する軍事的脅威」だと考えることさえも可能となるのではないでしょうか。

もう、このあたりでやめましょう。軍事力を高める事が、戦争の抑止に繋がるのか否か、中国が日本にとって軍事的脅威であるのか否か……など、不毛な議論は。

それよりも、私たちはしっかりと「現実」を見つめるべきです。この世界が、「圧倒的な非対称」に覆われているという、紛れもない「現実」を。