先日、なんとも光栄なことに、かの「ろくでなし子」さんが、私の駄ツイートに反応してくださりました。
(´-`).。oO(死刑執行人てものすごい大袈裟なたとえに鼻水吹いた https://t.co/OZo0o8R50d
— ろくでなし子 (@6d745) 2015, 7月 25
(´-`).。oO(たしかにバカバカしいことはエロから遠ざかるし、笑いながらセックスはできないから、この方の言いたいこともわかるけど、”死刑執行”できるような権力ありません
— ろくでなし子 (@6d745) 2015, 7月 25
今となっては、「死刑執行人」などという何のひねりもない表現ではなく、「道徳主義の枢機卿」とでも言ったほうがよろしかったかと反省している次第です。
「どうして枢機卿だってわかるんだ?」
「だって断頭台係りのお坊さんですもの。」(Lord Auch『Histoire de l'œil 』)
それはさておき、もしかするとろくでなし子さんは、私がろくでなし子さんの事を「表現規制賛成派」だと批判しているのではないか、と思われたのかもしれません。ですが、それは大変な誤解です。
私は、ろくでなし子さんの事を「表現規制賛成派」だとは、これっぽっちも思っていません。むしろ、「性的表現の開(解)放者」だと思っています。
しかし、だからこそ、エロティシズムを死に至らしめるのだと考えるのです。つまり、私が言いたいのは、性的表現の完全なる開(解)放のために 一切のタブーを取り払ってしまうことは、エロティシズムにとって「死に至る病」だということです。そして、このことを多くの人が誤解しているような、そんな気がします。
ところで、私は、ろくでなし子さんと同様に、女性器は「猥褻」ではないと考えています(もっとも、刑法上「わいせつ」であることを否定するのはなかなか困難でしょうが……)。ですが、それでもやはり、女性器は私にとって「秘密の花園」であってほしいのです。なぜなら、答えは単純明快、そうであったほうが「エロティック」だからです。
こんなことを言えば、フェミニストの諸姉諸兄から「男根主義的」である、と批判されるかもしれません。女性蔑視である、と批判されるのは心外ですが、どうやら俗流シブタツ主義者を自称する私は、「男根主義的」であるとの批判を甘受するしかなさそうです。もっとも、それはマッチョイズムとは程遠い、なんともひ弱な男根主義かもしれませんが。