葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「刑法175条は悪法」だから「逮捕は不当」なのだろうか?

北原みのり氏と「ろくでなし子」氏を逮捕 わいせつ物陳列の容疑

http://huff.to/1vJB00F

いわゆるわいせつ物公然陳列事件にまつわる論評において、しばしば「刑法175条(わいせつ物頒布等罪)は悪法だから逮捕は不当だ」という主張が見聞されます。このような主張は、いわゆる性表現規制に反対する諸姉諸兄には至極妥当なものに思われるかもしれません。

しかし、一見すると至極妥当に思われるそれは、理屈としては正しくありません。

というのも、「刑法175条が悪法かどうか」という事と「逮捕が不当かどうか」という事とは、それぞれ切り離して考えるべき問題だからです(よって、「違法行為をしたのだから逮捕されて当然だ」というのもまた、理屈としては正しくありません。)。

「逮捕が不当である」と主張するのであれば、「刑法175条が悪法だから」ではなく、「明らかに逮捕の必要がない(具体的には、逃亡のおそれがなく、かつ罪証隠滅のおそれがない)から」ということを理由とすべきなのです。

誤解なきようお断りしておきますが、私は決して「逮捕は不当だ」と主張する諸姉諸兄の揚げ足を取りたいわけではありません。ただ、「刑法175条は悪法だから」という理由は警察にとっては的外れなものであり、そのような的外れな理由に基づく批判は決して有効なものではない、ということが言いたいのです。

冒頭に挙げた事件に関して、私は別に法律の専門家ではありませんから「明らかに逮捕の必要がない」か否かを厳密に言うことはできません。しかし、素人感覚から見ても、果たして「 確信犯的」な人が逃亡し罪証隠滅をするおそれがあるといえるでしょうか。そうだとすれば、逮捕する必要があったといえるのか甚だ疑問だと言わざるを得ません。

もしも本当に公権力がわいせつ物公然陳列の罪を問いたいのであれば、在宅捜査でも充分だったはずです。それにもかかわらず逮捕権を行使したのは、もしかすると警察は捜査手続のひとつである逮捕を懲罰の手段として考えているからなのだろうか……そう思わずにはいられません。某新聞に掲載されていた「性風紀の維持のため、これ以上はダメだという一定の線引きは必要だ……粛々と逮捕した。今後も適正に取り締まっていく」という警視庁幹部のコメントからも、警察が逮捕を性風紀の維持のための懲罰の手段として用いようとする意図を窺い知ることができるような気がします。

裁判を受ける権利を保障している我が国の憲法の下では、裁判を経なければ刑罰を科されないのが大原則です。しかるに、警察が逮捕を性風紀の維持のための懲罰の手段として用いることが許されるならば、かかる大原則は骨抜きになってしまいます。

また、警察は「性風紀の維持のため、これ以上はダメだという一定の線引きは必要だ」と言いますが、果たして「一定の線引き」は表現活動を行う一般の市民が容易に解り得るものなのでしょうか。このように問えば、もしかすると公権力側は「社会通念に照らして考えろ」と言うかもしれません。しかしそれは、平たく言えば「空気を読め」ということであって、表現活動を行う一般の市民が逮捕という「懲罰」を恐れるあまり(人間は、自己防衛本能からとかく物事を悪い方へと考えてしまいがちですから)本来適法に行い得る表現活動を差し控えてしまう、といったことも考えられるでしょう。

なお、最後に一言お断りしておきますが、エロティシズムの擁護者である私は、冒頭に挙げた事件で逮捕された御二方の思想や言動に必ずしも賛同するものではありません。これに関しては、過去の拙エントリ(『フェミニズムロリコンhttp://yukito-ashibe.hatenablog.com/entry/2014/08/09/184042 および『モザイク処理考』http://yukito-ashibe.hatenablog.com/entry/2014/04/23/223221)をご一読いただければ幸いです。

*刑事訴訟規則第143条の3(明らかに逮捕の必要がない場合)

逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、 かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない。