あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

嫌萌論序説

はじめにお断りしておきますが、私はいわゆる「萌え絵」が嫌いではありません。むしろ、私はいわゆる「萌え絵」が大好きな人間です。

しかし、ご存知のように、世の中には萌え絵を忌み嫌う人が少なからず存在します。

もしも彼や彼女に、どうして萌え絵を忌み嫌うのか?と問えば、おそらく「萌え絵は気持ち悪いから」と答えるでしょう。では、なぜ「萌え絵は気持ち悪い」のか?と問えば、もしかすると「気持ち悪いオタクが好むから」と答えるかもしれません。さらに、なぜ「オタクが気持ち悪いのか」と問えば、「オタクはアニメとかゲームとかの萌えキャラが好きだから」……と、無限ループのような問答に陥ってしまうのではないでしょうか。

つまるところ、彼らが萌え絵を「気持ち悪い」と忌み嫌う理由は、「萌え絵」は世間一般の常識として「気持ち悪い」から、なのかもしれません。

「排泄物はその悪臭のために私たちの胸をむかつかせるのだ、と私たちは考える。しかし、排泄物がもともと私たちの嫌悪の対象となっていなかったら、果たしてそれは悪臭を放っていたろうか。」(ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』澁澤龍彦訳)

「萌え絵は気持ち悪い」というのが「世間一般の常識」である以上、気持ち悪い萌え絵を好む「気持ち悪いオタク」である私が、萌え絵を忌み嫌う彼らに対して「萌え絵は気持ち悪くない!」と抗議したところで、徒労に終わるだけです。

そこで私は、なぜ彼らが萌え絵を「気持ち悪い」と忌み嫌うのか、その本心について、私なりに考えてみることにします。

まず、いわゆる「エロい萌え絵」について、それが「常識人」に忌み嫌われるのは、なによりもまず「エロい」からだといえるでしょう。それゆえ、「エロい萌え絵」を忌み嫌う人々の本心を考えるにあたっては、エロがなぜ悪いとされるのかを考えれば足りるのではないかと思います。

したがって、本当に問題なのは、いわゆる「エロくない萌え絵」が、どうして「常識人」に忌み嫌われるのか、ということです。

おそらく、「『エロくない萌え絵』が『気持ち悪い』のは性を売り物にしているからだ」と、一見至極正論であるような理由を挙げる人も多いでしょう。しかし、それは萌え絵を気持ち悪いと忌み嫌うことを正当化する理由であって、萌え絵を気持ち悪いと忌み嫌う根本的な理由とはいえません。

世間一般の人の常識では、アニメや漫画は幼稚なものであるとされています(それはおそらく、アニメや漫画は直観的なものであって、高度な思惟作用を必要としないゆえに低俗である、といった固定観念によるものであると思われます。)。それゆえ、彼ら「常識人」たちからしてみれば、そのような幼稚なコンテンツで多用される萌え絵も、当然ながら幼稚なものであるのでしょう。そして、ここでいう「幼稚」とは、アニメや漫画と対をなすコンテンツがしばしば「高尚な」と形容されることに鑑みると、「幼い」というよりも、むしろ「劣っている」という意味であると考えられます。

つまり、私が言いたいのは、萌え絵を忌み嫌う彼らは、「幼稚なコンテンツを好まない人間は、幼稚なコンテンツを好む人間と比べて優れた人間である」と考えているのではないだろうか、ということです。

結局のところ、「常識ある大人」が萌え絵を忌み嫌う根本的な理由は、「劣っている」とされるものを蔑視することで、自らが優れた存在であることを確かめたいからなのかもしれません。すなわち、彼らを「嫌萌」へと駆り立てるのは、彼らが抱えている「存在の不安」である、そんな気がするのです。

自らが優れた存在であることを確かめること、それはおそらく、自らの「存在の意味」を確かめることなのでしょう。しかし、果たしてそれが「本物の」自らの存在の意味であることを、いったい誰が保証してくれるというのでしょうか。

 

参考:コンテンツ文化史学会2014年大会のポスターについて - Togetterまとめ http://togetter.com/li/745870