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あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「大学で学ぶ」ことの意味を、少しだけ考えてみた。

「大学で学ぶ」ことの意味を、素人ながらに少しだけ考えてみました。

「L型大学って何!?」文部科学省が大学を職業訓練校化しようとしていたことが発覚し、ネット大炎上 - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2141414404057677501

たしかに、大学で学ぶ内容は、職種によっては役に立つこともあるでしょうが、一般的には仕事の役には立たないといえるかもしれません。

しかし、はたして仕事に役立たなければ、学ぶべき内容ではないと言い切ってしまってよいのでしょうか。

思うに、大学で学ぶ内容は、それが仕事の役に立たないとしても、人間として生きていくことのためにはとても重要なものなのです。

例えば、問題の提案で、憲法学は「L型大学」なるものの法学部では学ぶべき内容ではないとされています。たしかに、憲法学の知識・理解は、大多数の職業においては役に立たないものかもしれません。しかし、主権者たる市民として生きていく上では、本当のところ憲法学の知識・理解は必要不可欠であると言っても過言ではないのです。そしてそれは、単に日本国憲法の条文を暗記・暗唱すればよいというものではありません。

ところで、「仕事に役立つ/役立たない」という価値判断そのものが、いったい誰を主体とした価値判断なのでしょうか。

そんなことを問えば、おそらく資本の側の偉い人は、「仕事に役立つということは、貴方が立派なビジネスパーソンとして成功するために役立つ、つまり貴方自身が輝かしい人生を送るために役立つということなのですよ!」とおっしゃるでしょう。

しかし、私たちはそのような「有難い」お言葉を、はたして鵜呑みにしてしまってよいのでしょうか。

そもそも、「役立つ/役立たない」という物差しそのものが、絶対的なものなのでしょうか。

もしかすると、そろそろ「有用性の限界」をしっかりと見つめなければならない時が来たのかもしれません。