あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

フェミニズムとロリコン

フェミニスト諸姉諸兄の中には、現代における日本男性の性的嗜好の潮流を、「ロリコン文化」であると嫌悪する方もいらっしゃるようです。はたして、「ロリコン文化」なるものがあるかどうか、私には分かりません。しかし、仮に「ロリコン文化」なるものがあるとして、そのような現代における日本男性の性的嗜好の潮流を生み出す原因は、皮肉にもある種のフェミニズムであるのかもしれません。

澁澤龍彦氏は『エロティシズム』のなかで、「現代のように、女性の権利が拡張され、強い女性やインテリ女性がふえている時代(女性上位時代)には、男の欲望がそれに比例して、ファンム・アンファン*1のほうへ向けられるのは当然というべきかもしれない。」と述べています。

誤解のないようにお断りしておきますが、べつに私は「女性の権利が拡張され、強い女性やインテリ女性がふえている」ことを忌み嫌うつもりなど毛頭もありません。それ自体は大変素晴らしいことだと思います。ですが、「女性の権利が拡張され、強い女性やインテリ女性がふえ」た結果として「大人の女性において失われたなにか」が、ファンム・アンファンに求められるということは、ひとつの事実として、どうやら否定できないような気がします。

「大人の女性において失われたなにか」が、いったい何であるか――それは、後述するように「無条件の愛である母性」かもしれません。或いは、そんな事を言えばますますフェミニスト諸姉諸兄からお叱りを受けそうですが、エロティックな「客体性」なのかもしれません。

ともあれ、フェミニスト諸姉諸兄が忌み嫌う「ロリコン文化」は、いわば男の欲望が青い鳥を求めて彷徨ったあげく辿り着いた、永遠のユートピアなのです。ですから、フェミニズムの理想を実現しつつ、「ロリコン文化」なるユートピアをぶち壊すには、どうやら男を去勢するしかなさそうです。

ところで、どうやら世間には、「精神分析の分野においては、男性がロリコンになるのは、幼児性からなかなか脱却できず、大人の女性と対等なコミュニケーションがとれないことに起因する」等という説もあるようです。しかし、大人の女性と対等なコミュニケーションがとれないことを、少女に性的関心が向けられる必然の前提とする思考は、いささか強引であるような気がします。

というのも、「幼児性」からは「母性」への欲求を導くこともできるのであって、ニンフェット(小妖精)*2を愛する男性は、ニンフェットに無条件の愛である母性を求めるのであるとも考えられるからです。もっとも、ニンフェットに母性を求める点に関する限りでは、少女愛が「男の幼児性」に起因すると考えるのも、あながち間違いでもないのかもしれませんが……。

そもそも、男は多かれ少なかれいくつになっても子供であり、だとすれば「大人の男」などというのは、一種の幻想に過ぎないのかもしれません。それはちょうど、男が女性に対して抱く「理想」が、男の身勝手な幻想であるのと同じように……。

 参考文献:澁澤龍彦『エロティシズム』(中公文庫)http://www.chuko.co.jp/bunko/1996/11/202736.html

*1:子供っぽい女

*2:『ロリータ』の主人公ハンバート博士曰く、「9歳から14歳までの範囲で、その2倍も何倍も年上の魅せられた旅人に対してのみ発生する、人間ではなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女」のこと。(ナボコフ『ロリータ』若島正訳)