葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

女装少年愛序説

今ではやや下火になってきた感がありますが、数年前に巷で起きたいわゆる「男の娘ブーム」は、まだ記憶に新しいかと思います。それは、一部の限られた「界隈」におけるものではなく、マスコミによって「世間一般」にも広められたものでした。

 ただ、そうはいっても、残念ながら「『男の子が女の子の格好をすること』あるいは『女装少年に興味を抱くこと』はアブノーマルである」というのが、世間一般の認識であることは否めません。

しかしながら、「男の子が女の子の格好をすること」あるいは「女装少年に興味を抱くこと」は、はたして本当に性的な意味でアブノーマルなのでしょうか。

女性による「男の娘」の楽しみ方には、もしかするといわゆる「ボーイズラブ」の延長線としての楽しみ方もあるのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。ですが、私自身は男でありますゆえ、あくまでも男の視点(偏見)でこのテーマについて考えてみたいと思います。

さて、「男の娘」を愛でる理由としては、いわゆる少年愛も考えられるでしょう。しかしながら、「少年」に関心はなくても「男の娘」には興味を抱くという諸兄もいらっしゃるかと思います。つまり、少女でも少年でもある「男の娘」だからこそ「男の娘」を愛でるのだ、と。

ところで、男なら誰しも、一生のうち一度は「女の子の格好をしてみたい」と思ったことがあるのではないでしょうか。「女の子になりたい」という変身願望というよりは、あくまでもエロティックな欲求として。

 思うに、エロティックな欲求としての「女の子の格好をしてみたい」という欲望は、まさしく本来的なエロティシズムの発露ではないでしょうか。

すなわち、そもそも「男らしい格好/女らしい格好」とは社会的・文化的産物であって、それゆえ「男が女らしい格好をしてはならない」というのは、社会的・文化的な禁忌であるといえます。

だとすれば、男が女の子の格好をすることで「男が女らしい格好をしてはならない」という禁忌を破り歓びを味わうことは、まさしく禁止に対する侵犯の歓びである、エロティシズムの実現以外の何ものでもないでしょう。

そうはいっても、社会で生きることを半ば強いられている私たちが、現実に禁忌を破ることは容易いことではありません。そこで、禁忌を破り歓びを味わう代替的方法として、「男の娘」を愛でることが考えられます。すなわち、対象たる「男の娘」に「女の子の格好をしてみたい〈自分〉」を投影することで、男が女らしい格好をしてはならないという禁忌を破り歓びを味わうのです。

こうして考えると、「男の子が女の子の格好をすること」あるいは「女装少年に興味を抱くこと」は決してアブノーマルではなく、むしろエロティシズムの追求としては至極正常であるといえます。

もっとも、エロティシズムが禁止に対する侵犯の歓びであるならば、正常なエロティシズムなどというものは、本来あり得ないのかもしれませんが……。