あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「コンテンツの大量生産・消費と『二次創作』」草稿

商業クリエイター(或いは版権元企業)の中には、いわゆる「二次創作」を良く思わない人もおられるでしょう。その理由として、純粋に作品の世界観を壊されたくないというのもあるでしょうが、やはり、他人の作ったものを利用して稼ごうというのは如何なものか ――というのが大きなものとして挙げられるかもしれません(同人活動は本来的には決して「他人の作ったものを利用して稼ごう」というものでは無いと思いますが……。)。

ところで、コンテンツの大量生産・消費が云われて久しい昨今ですが、はたしてコンテンツはクリエイターが存在するという条件さえあれば「無限」に生産されるのでしょうか。

たしかに、有形の資源とは異なり枯渇することはないかもしれません。

しかし、コンテンツの大量生産・消費が繰り返されるうちにやがて期視感を覚える作品が市場に溢れ、かかる作品に不満を抱く消費者が離れていく結果として、コンテンツが衰退していくということは十分に考えられます。

もっとも、「期視感を覚える作品が市場に溢れ」る原因はそもそも消費者にあるのでしょうが、だからといってそれを責めることはナンセンスと言えましょう。なぜなら、消費者の多数が求めるコンテンツを生産することが、商業的には至極合理的なのでしょうから。

やはり、私達はコンテンツ生産の「有限性」を認識すべきではありますまいか。つまり、ただひたすらにコンテンツを消費し続けるのではなく、生産されたコンテンツを「資源」として維持していくことが必要であると思うのです。

そのための有効な手段として、私は「二次創作」を挙げることができるものと考えます。

というのも、もしかすると私達は、上手く使えば永続的に使えるものを簡単に使い捨てしてしまうように、ひとつの作品を簡単に使い捨てしてしまってはいないでしょうか。そこで、二次創作によって自分の好きな作品の魅力を新たに発見し、または再確認する。それによって、別の誰かがその作品を好きになり、その作品の魅力を新たに発見し、または再確認する。それによってさらに、別の誰かがその作品を好きになり ――そうした連鎖によって、ひとつの作品がただ消尽されることなく生き永らえることができるのではないかと、そう思うのです。

つまり、二次創作は云わば「コンテンツの再生産」であって、それは商業クリエイター(或いは版権元企業)にとって必ずしもマイナスに働くものではないと言えますまいか。

もっとも、二次創作さえもコンテンツの大量生産・消費の渦に巻き込まれてしまったら、もはや二次創作に「コンテンツの再生産」を期待しても無駄でしょうが……。