あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

“わいせつ”表現を取り締まることの意味。

ソフ倫が緊急警報発令! 警察の新たなターゲットはエロゲー業界!? 広がるコアマガジン事件の波紋 

http://otapol.jp/2013/11/post-177.html

 

はたして、これほどの性的表現の規制がどれだけ性犯罪防止に関係があるのか疑問を抱いている人は少なくないと思います。

しかしながら、もしかすると警察当局にとって性犯罪防止という大義名分は最早“どうでもよいこと”なのかもしれません。つまり、性的表現が「本当に悪いことであるか否か」は最早どうでもよく、「とにかく警察に摘発されるような悪いことである」という印象を、アダルトゲームや成人向け漫画に興味のない世間一般の人々に与えることこそが目的となっているのではないでしょうか。

では、警察当局(とその背後に控える“権力者”)はなぜそこまで執拗に性的表現を取り締まろうとするのでしょうか。

私が思うに、少々オーバーな表現かもしれませんが、性的表現はいわば“権力への生贄”なのかもしれません。

すなわち、権力が社会の隅々までその支配を及ぼすためには、社会の秩序が守られなければなりません。しかし、社会の秩序が守られていることを社会一般の人々に認識させるには、社会の秩序を乱す「悪」が必要です。そう、悪役がいるからこそ正義の味方という商売が成り立つように。幸い(!?)、近現代の日本ではエロティックなものを悪とする道徳的価値観が存在する。とすれば、性的表現は、「社会の秩序を乱す『悪』」として吊るし上げる恰好の生贄であるといえましょう。そして、皮肉にも国民の知る権利に奉仕する存在であるマス・メディアが、この生贄が社会の秩序を乱す「悪」であるということを社会一般の人々に知らしめる役割を演じてしまうのです。

こうして、「社会の秩序を乱す『悪』」が取り締まられることを“実感”することで、社会“一般”を構成する“多数”の人々は社会の秩序が守られていることに安心し、やがて支配されることに安心感を得るようになるのでしょう。

ところで、「これほどの性的表現の規制がどれだけ性犯罪防止に関係があるのか」という疑問に対しては、「性犯罪を効果的に抑止するためには、かかる規制も止むを得ない」と“大人な”反応をする人もおられるかもしれません。

しかし、「効果的」ということを突き詰めていくと際限がありません。やはり、過度の性的表現の規制が性犯罪防止のための唯一無二の手段でない以上、比例原則という観念を鑑みても、取り締まりの「効果・効率性」を原則的に考えることは本末転倒であるといわざるを得ないのではないかと思うのです。