誰かを好きになろうとして好きになることは、もちろんできるでしょう。しかし、反対に、誰かを好きになろうとしなくても好きになってしまうこともあるでしょうし、それがきっと、恋することなのではないでしょうか。
ただ、誰か(あえていえば、誰でも良いから)を好きにならなければならないとして好きになろうとした場合、つまり恋することが義務になってしまった場合、恋することの目的がもはや誰かを好きになることではなく、“恋愛者”というある意味社会的地位を獲得することになってしまいやしないでしょうか?
言うなれば、遊びが労働へと転化してしまうように、恋することが労働へと転化してしまいやしないでしょうか?
恋することが義務になってしまった場合、そのゆく末は……。
ところで、いわゆる“恋に恋すること”は、恋愛者という社会的地位を獲得するために恋することとは似て非なるものであると思います。
というのも、恋愛者という社会的地位を獲得するために恋することの場合は、恋することは快楽を得るための手段にすぎないのでしょうが、恋に恋することの場合は、恋することそれ自体が快楽であるといえるからです。
以上、しがない喪男の妄言でした。