あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

〈生きる〉ということの価値。

「希望を持って生きねばならぬ、という価値観は捨てた方がいいし本当はこの世は生きるに値しない。でも子供に向かってそんなことは言えないので『とりあえず生きてみて下さい』と言うのが私の本音です。」

昨今話題の、宮崎駿監督の言葉。

しかしながら、〈生きる〉ということには、そもそも「価値」というものがあったりなかったりするものなのでしょうか。ここで少々、宮崎駿監督に反抗してみたり。

私が思うに、〈生きる〉ということに「価値」なんてものは、本当は何ら関係ないといえるのではないでしょうか。私たちは、生きる価値があるから毎秒ごとに呼吸を続けているわけではないでしょうし、価値の有無とは関係なしに生まれ、そして今ここに存在しているのでしょうから。

つまり、「生への意欲は盲目的なものである」。(と、ここまで書いてみて、宮崎監督の『とりあえず生きてみて下さい』という言葉は決してかかる考えと反目するものではないことに気付いたりするわけですが。)

それゆえに、価値があるから生きている人間なんてものもいなければ、生きている価値のない人間なんてものもいないのではないかと。

そうはいっても、そんな「価値」とは無関係な〈生きる〉ということに、自由に「価値」を付与する/しないのも、人間ならではと言えましょう。

だから、「この世は生きる価値がある」と〈生きる〉ことに価値を付与してみるのも、決して悪い事ではないのかもしれません。ただ、そんな後付けの価値に囚われ飲みこまれてしまう必要は、全くもって無いと思うのです。(と、ここまで書いてみて、宮崎監督の「希望を持って生きねばならぬ、という価値観は捨てた方がいい」という言葉は決してかかる考えと反目するものではないことに気付いたりするわけですが。)

……うーん、宮崎駿監督に反抗してみたつもりが、全然反抗しきれてないな。いや、やはり反抗する相手が悪すぎるか。